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それは本当の価値??

 

 

 

価値への疑問


 まず、物事を考えるとき、それに対する疑問が浮かぶのは当然のことであろう。「価値」に対して浮かんだ疑問をとりあえず上げてみる。

 

お金に価値ってあるの?


ものの価値って何?


人に出来ないことは価値がある?


希少なものは価値がある?


快楽は価値がある?


時間って価値あるの?


誰が価値を決めるの?


命って価値がある?


どうやったら価値って生み出せる?


価値って真偽があるの?


私に価値ってあるの?


機械に価値観ってあるの?


学歴の価値って?


価値のないものって何?


価値は何で測るの?


愛情は価値がある?


豊かになることが価値?


欲求を満たせるものが価値?

 

 


価値観の相違はどうして生まれるの


 パッと思い浮かんだ疑問である。

今回は、一部を厳選して考えてみることにする。全部について考えるのは別の機会に。

 

お金に価値ってあるの?


皆さんも私もこんなこと思ってると思います。

「あんな紙切れで人生を棒に振りたくない」

 

 

確かに、材質に注目すれば、ただの紙に特殊な加工を施した肖像画である。

硬貨にしても同じようなものだ。

我々は、なぜあれに価値を感じ「諭吉、諭吉」と讃えるのだろうか。


 お金の役割は大きく分けると3つある。

 

①交換の手段


②価値の保存


③価値の尺度

 


である。①,②は想像に易いだろう。③を補説すると、例えば、魚一匹との交換レートがみかんなら3個、りんごなら5個であるとすると、現代人の感覚では、りんご5個のほうが損をしているように感じる。これは「みかんとりんごってだいたい同じぐらいの値段だよね。むしろ、りんごの方が高い気がする」と、「値段」という統一尺度でみかんとりんごを評価しているからである。③はお金にはそういう尺度的要素があるということを表している。

 

 

 私がここで注目したいのは、「価値」という言葉である。一般に、お金の価値は「国の信用」が担保しているとよく言われる。しかし、私たちは普段そんなことを一切意識していない。やはり、お金には「国の信用」以外の何らかの点において価値を生み出しているのではないかと思う。

 

 

 目先で価値を感じるものは①の「交換の手段」だろう。確かに、お金を払えばものが買える。これは、価値への対価である。つまり、「ものの価値=お金の価値」ということである。これだと、ものに価値がなければ金銭は生じないということになる。ものの価値がどこから来るのかについて考えなくてはならない。

 

ものの価値って何?

 

 さて、ものの価値がどこから来るかを探るには、やはり一般的に価値があるものを考えてみるのが得策だろう。例えば、ダイヤモンド。価値の塊のようなものである。ダイヤの価値は、「希少性」と「美しさ」から来るように思われる。

 考えたいのは、「希少」とか「美しい」というのはダイヤの形容(説明)であって、価値の形容(説明)ではないことである。例えば、雨の降った日の朝、工事現場に行ってみると油が浮いていることがある。あの虹色の反射になにか美しいものを感じることがあるが、工事現場のオヤジさんに金を払おうと思ったことはないし、そんなことを思う人はいない。共通の形容ができるが、道路の油には価値がないということになる。

 

 皆さんの中には狐につままれたと感じている方がおられるかもしれない。その感覚こそが、私の「価値」への疑問からくるもどかしさの感覚なのである。私には、どんなものの価値を表そうとしても同じことが起こるように思える。価値の本質が言語化できないように思えて仕方が無いのだ。

私の価値観
 価値が何か分からないからと言って、価値を生み出すのが不可能というわけではないということとは事実だろう。「ものの仕組みがわからない=つかえない」という方程式は、思っているほど成立しないのではないかとよく思う。

私は価値というものが何であるかということを本質的に理解はしていない。

 

 言ってしまえば、人任せである。価値は他人が決めればいい。ただし、自分は価値があるのではないかと信じる。

 

そこに信頼があって価値があるのでないかと思う